本研究会の特別名誉顧問 豊田 裕先生が、去る2021年5月28日に86歳でご逝去されました。
奥様によりますと、先生は10数年前に肺がんの手術をお受けになり、その後は順調でお元気にお過ごしでした。しかし、2018年に再発と新たに転移が見つかって加療中でしたが、5月28日に自治医科大学病院でお亡くなりになりました。なお、告別式はコロナ禍ということもあり、ご親族のみで執り行われたとのことであります。 豊田先生は、1953年に東京大学農学部畜産学科をご卒業後、同大学院を修了され、1962年に東北大学農学部助手(家畜繁殖学講座・竹内三郎教授)として勤務されました。1967年7月から1968年8月に米国・ウースター実験生物学研究所のDr. M.C. Changのもとに留学され、透明帯除去ラット卵の体外受精を世界に先駆けて成功させ、Nature誌に発表しておられます。 この留学を途中で帰国され、1968年10月に、新設されて間もない北里大学畜産学部(現在の獣医学部)に助教授として赴任されました。着任後すぐに家畜育種繁殖学研究室を開設され、学生の教育とともにマウス体外受精の研究を開始されました。そして1970年4月の哺乳動物卵子談話会(現在の日本卵子学会)ならびに日本畜産学会で、わが国初の哺乳類の体外受精の成功を発表されました。なお先生は、Dr. M.C. Changから再び招聘を受けて1972年6月から12月に短期留学され、ラットの体外受精卵を移植して産仔を得ることに世界で初めて成功しておられます。 その後、北里大学教授を経て、1987年に東京大学医科学研究所獣医学研究部教授として異動され、自ら確立した生殖工学技術の基盤の上に最新の遺伝子工学技術を導入して、新しい疾患モデル動物の開発と、その動物を用いた個体発生過程の遺伝子制御に関して幅広い研究活動を展開し、多くの業績を挙げておられます。 1995年には東京大学を定年退職され、帯広畜産大学原虫病分子免疫研究センター教授として異動されました。同センターにおいても、スカベンジャー受容体遺伝子欠損マウスのバベシア原虫感染に対する感受性の解析、およびトキソプラズマ原虫抗原遺伝子導入トランスジェニックマウスの作製などを精力的に展開され、原虫病研究への発生工学的アプローチの有用性を具体的に示されました。さらに同センター長を経て、1998年に帯広畜産大学名誉教授になられました。 先生は、永年にわたって、畜産学・獣医学の教育、研究に努められ、また生物学、医学など関連研究分野との境界領域を積極的に開拓され、多くの優れた研究業績を挙げられました。特に、1970年代にご自身が主導されてわが国の生殖工学を創成するとともに、1980年代に始まった発生工学でも黎明期からこの研究分野のリーダーとして先頭に立ってリードされました。先生がおられなかったら、わが国の生殖工学と発生工学はもっと違ったものになっていたのではないでしょうか。 教育者としても卓越した手腕を発揮され、有為の人材の養成にも多大の貢献を果たされました。先生は大変穏やかなお人柄で、学生や若い人たちにも対等な立場で接してくださり、ご自分の考えを押し付けるようなことはまったくなさいませんでした。一方で、研究への取り組みは常に厳しく、実験の進め方や論文執筆については一切の妥協を許すことはありませんでした。しかもそれを言葉に表すのではなく、ご自身の日々の姿勢でお示しになられました。 さらに門下生が社会に出てからも、何かあると親身になって相談に乗ってくださいました。1990年に、本研究会を豊田門下生が中心になって立ち上げましたが、この会で度々お話していただくだけでなく、特別名誉顧問の立場からいろいろとご支援いただきました。先生は毎年12月に開催される定例会を楽しみにしてくださっていて、毎回欠かさずにご出席くださいました。そして発表演題の一題ごとにご質問され、さらに研究を進展させるための適切なアドバイスをしてくださいました。 先生は、お酒をこよなく愛され、おいしそうに杯を重ねるほどに朗らかに話題も弾む、まことに楽しいお酒でした。このような席で、先生からどれほど多くのことを学ばせていただいたか計り知れません。そんな熱くて楽しい先生のお話を、もう聞くことができないのは本当に残念です。 ここに長年にわたる温かいご指導を感謝申し上げるとともに、心から哀悼の意を表します。長い間、本当にありがとうございました。 2021年8月24日 動物生殖工学研究会 会長 横山峯介
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